
雑音の底に
ラジオの目盛りを、局と局のあいだへわざと外してみる。すると、ざあ、という砂のような音が部屋を満たす。たいていの人が「何もない」と言って切ってしまう、あの雑音である。わたしは昔から、この砂嵐が嫌いになれない。
そのざわめきのいくらかは、地上のどこからでもない。頭上の、はくちょう座のあたり――肉眼ではただ暗く、天の川の光にまぎれて何ひとつ目立たない一角から、届いている。
静かに見えるものほど、じつは大声で何かを叫んでいる。わたしがこの古い事件簿を開いたのは、その倒錯に取り憑かれたからだった。
裏庭に皿を伏せた男
話は一九三二年にさかのぼる。通信技師のカール・ジャンスキーが、大西洋越しの無線を邪魔する雑音の出どころを追ううち、一日ごとに地球の自転のぶんだけ早く昇ってくる音源へ行き当たった。相手は地上ではなく、天の川の中心の方角だった。空そのものが、電波で低く鳴っていたのである。
この奇妙な報せに、たったひとりで本気で応じた素人がいた。一九三七年、グロート・リーバーは自宅の裏庭に、口径およそ九メートルの手製の放物面――金属の大皿を空へ伏せたようなアンテナを組み上げる。近所では物笑いの種だっただろう。それでも彼は、以後十年ちかくのあいだ、世界でただひとりの電波天文学者でありつづけた。
リーバーは夜ごと皿を空へ向け、電波の強さを一点ずつ丹念に測り、ついに「電波でみた空の地図」を描き出す。その地図には、目には見えないいくつかの強い染みが浮かんでいた。なかでも、はくちょう座の一点は、ほかを圧して明るい。のちにはくちょう座Aと名づけられる、この事件の――被害者と呼ぶべきか、主役と呼ぶべきか、まだわからない一点である。名の末尾の「A」は、その星座で最も強い電波源につけられた符牒にすぎない。
太陽と競う声
一九四〇年代に観測が進むと、この一点の異様さが輪郭を帯びてくる。電波で見るかぎり、はくちょう座Aは全天でも指折りの強さで鳴っている。太陽をのぞけば、空でいちばん大きな声の部類に入る音源――それが、こんな暗がりに潜んでいた。
ところが、である。同じ場所へ大きな光学望遠鏡を向け、可視光でのぞき込んでも、そこにはほとんど何もない。取り立てて明るい星も、華やかな星雲も見あたらない。声だけが轟いて、姿がない。閉じた部屋の奥から悲鳴だけが漏れてくる、あの筋書きによく似ていた。手がかりを並べれば、謎はいっそう濃くなる。
- 電波では全天屈指の強さで叫ぶのに、可視光ではほとんど姿を見せない。
- その声は空の一点から来るように見え、地上のどんな機械の雑音とも似ていない。
- 近くの星や星雲では、これほどの電波の強さはとうてい説明がつかない。
電波でみる空
わたしたちの目に映る星々は、可視光という、ごく狭い窓から覗いた宇宙にすぎない。窓を電波へ取り替えると、明るさの順位はまるで入れ替わる。可視光でおとなしい天体が、電波では最前列で叫んでいることがある。はくちょう座Aは、その事実をわたしたちに教えた最初の一例だった。
探偵たちの推理
声の主は近いのか、遠いのか。ここで探偵役を務めたのは、光を成分に分けて読む分光という手法だった。一九五四年、ウォルター・バーデとルドルフ・ミンコフスキーは、電波源の位置にかすかに横たわる一つの銀河をとらえ、その淡い光を虹のように分けて調べあげた。
読み取れたのは、本来の位置より大きく引き伸ばされた色――赤方偏移である。その値はおよそ z=〇・〇五六。宇宙の膨張にのって遠ざかる速さから距離を見積もると、その銀河は約六〜七億光年のかなたにあった。これほど遠く離れていながら、電波では我らが太陽と張り合う。もしすぐ隣にあったなら、空でどれほどの音量になっていたか、わたしには見当もつかない。
遠い一つの銀河が、この身近な恒星と音量を競う。それがどれほど桁外れの営みなのか、当時の天文学は言葉を探しあぐねた。ふつうの星の光をいくら足し合わせても、これほどの電波は生まれない。もっと猛々しい、別種のからくりが要る。二つの逆説はここで、ひとつの結論へ静かに収束していく。この声の正体は、星の集まりではありえない、と。
正体、そして息づかい
謎を解く鍵は、その銀河の中心にあった。多くの銀河の芯には、太陽の何十億倍という超大質量ブラックホールが潜んでいる。吸い寄せられた物質の一部は、飲み込まれる間ぎわに猛烈な勢いではじき返され、中心から反対向きへ、二本の細い噴流――ジェットとなって噴き出す。
はくちょう座Aでは、このジェットが銀河の外へ数十万光年ものび、両端で周囲の希薄なガスに衝突して、ローブと呼ばれる巨大な瘤をふくらませている。ぶつかった穂先には、とりわけ明るく灼けた点――ホットスポットが灯る。そこでは高速の電子が磁場に巻きつき、電波を撒き散らす。可視光では地味な一つの銀河が、電波でだけ全天に響きわたる。その仕掛けの正体が、これだった。こうした天体を、わたしたちは電波銀河、あるいは活動銀河核と呼んでいる。
静まりかえった一角の悲鳴は、遠い銀河の底にひそむ怪物が宇宙へ吐き出す、荒い息づかいの音だったのだ。リーバーの裏庭の皿は、その息を、地上の誰よりも早く聞き取っていたことになる。
解けない残余
それでも、事件簿はまだ閉じきらない。ブラックホールのすぐそばで、ジェットがどのように生まれ、細く絞られ、光の速さに迫るまで加速されるのか――その細部の物理は、いまも完全には解けていない。おまけに、わたしたちが受け取っているあの「声」は、六〜七億年も昔に発たれたものだ。今このときのはくちょう座Aが何をしているのかは、誰ひとり知らない。次に夜空のあの暗い一角を見上げるとき、そこに満ちているのは光ではなく、はるかな過去に放たれた叫びの、長い長い残響なのだと、どうか思い出してほしい。